見学会レポートvol.2 暮らしを守る 「大河津分水」に 行ってみた!2022年11月26日

新潟市立西内野小学校の4年生は、社会科の学習で水害から地域を守るために造られた「新川」について学んでいます。
水路の大切さや人と川の関わりについて、さらに学びを深めようと信濃川大河津資料館を訪ねました。

町を守り、暮らしを支える「分水」

「越後平野は土地が低くて、大河津分水ができる前は、腰まで水に浸かって米作りを行っていたんですよ」。説明を聞き、昔の稲作の様子の模型を見ながらうなずく児童たち。「明治29(1896)年には『横田切れ』が起こって、一帯が3カ月も水浸しになってしまいました」。「聞いたことある」。4年生はつい先日、新潟市西区にある宝光院を訪ね、横田切れの水位を示す水位標を見学しました。資料館では、浸水の深さを記した柱を見て、改めて被害の大きさを実感。「完全に潜ってるよね」「怖い」と声が上がりました。「越後平野はたびたび、水害に悩まされましたが、明治40(1907)年にやっと大河津分水の工事が始まります」。完成した分水路に水が通って、今年で100年になりました。

水路を見学して、インフラの大切さを知ったよ!

「大河津分水ができて、何が変わったと思いますか?」。スタッフの質問に「水害がなくなった」と答える児童。「他にも恩恵があります。信濃川下流部の水位が低くなり、排水が良くなったことで、越後平野は日本有数の『米どころ』になったんです」。

資料館の4階では、大河津分水と信濃川の分岐を眺めることができます。「みんなが先日、新川との立体交差を見た西川は、ここが始まりです」。さらに、現在大河津分水の河口部で行われている工事について説明がありました。出口の幅を100メートル広げると聞いて「はじめから広くしなかったのはどうして?」と疑問の声。
「山を広げる工事が困難だったからです。現在の工事で山を削った土砂は、埋め立てに使うなど有効に活用しています」。

新川について学び、その後に大河津分水を見学した児童たち。川や水路の役割を大きく「俯瞰(ふかん)」で見ることができました。「横田切れという災害が、大河津分水にも、新川の排水機場とも関係があることが分かった」。「いつ起こるかわからない水害を、ここでせき止めていることを知って、すごいと思った」。

川や水路というインフラの大切さを知り、そして自分たちの暮らしと川をつなげて考えるきっかけにもなりました。

【主催】新潟県建設業協会
【協力】西内野小学校
【制作】新潟日報社 ビジネス局地域ビジネス部

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